高温多湿で風のない日には、日盛りを避けて犬も猫も動きを静めている。力が溢れる人は、仕事にスポーツに汗を流すが、生体の理には逆らえない。北も南も熱帯化しつつある日々を、若さや体力・やる気や忍耐などの看板に惑わされずに、正しく健やかに穏やかに過ごしたい。
かつてスポーツ根性論が盛んだった頃は、体を苛めて強靭な精神を育む訓練が行われていた。が、今はそんな非科学的な規律は教育ではないとされ、(管理責任が問われるためか)仕事はもちろん学校でも趣味でも無理は見られなくなった。体力や能力の限界に挑戦することと、生理的な限界を超えた強行とは明確に区別されてきた。何事もベストコンディションでも上手くいかないことが多いのに、体調不全を押してうまくいく筈がない。本来、不断の努力とはON・OFFをしっかり分けて、怠けず急がず・慢心せず落胆せずに目標を保ち、健康にムラを生みにくい日常にあるのではないかと思う。
■好きな仕事
過日、一時代を築いた国民的ヒーローといわれる、元プロ野球選手が亡くなった。野球に興味が無くても、誰もが名前を知っていた。多分確実に、黙々と成長を続ける昭和時代を元気づけた一人だったと思う。格別ファンという訳ではなかった私も、打ってほしい場面で期待に応える打力、明る過ぎるコメントなどが記憶に残っている。ある時、彼が「世の中のほとんどの人が好きでもない仕事をしているのに、僕は好きなことを仕事にしている。幸せだと思いますよ、ハイ」と陽気に語っていた。もちろん、のん気に聞こえる発言の裏には、弛まぬ努力・孤独な鍛錬があったのだろう。私にとっては心に残る言葉だったが、追悼番組では彼の様々な名言(迷言?)やエピソードが取り上げられても、この話は出てこなかった。(好きでもない仕事をしている多くの人々に対する配慮なのかも知れないが)
ある時期、持ち出せない本を読む必要があって図書館に通っていた。次第に職員の顔も覚えた頃、カウンターの中で何かあったらしく「〇〇さん、呼んで。○○さんじゃなきゃダメよ」と声をひそめながら話すのを聞いた。清掃員の○○さんがやって来て、手こずっていた落ちにくい汚れをあっという間に処理したらしかった。「すごい!さすがプロ!」感嘆の声に「だって、私この仕事好きだもん。何でもきれいにするよ」と答えて、持ち場に戻って行った。
■積んだ仕事
プロ野球選手も清掃員も、思い通りにいかず凹むことも、不当な扱いを受けて嫌な思いをすることもあるだろう。それでも、いい時も悪い時も同じように明るく平然としていられるのは、努力を積んで好きな仕事をしているからかも知れない、と私は思った。有名無名に関わらず悩みはあるだろうが、迷いのない生き方をしている人特有の気負わない素敵な姿だと思えた。やっぱり好きなことに取り組む力はすごい。嫌なことがあっても好きなことなら乗り越えられる。ダメでもきっぱり見極めがつく。心身の安定を調整できるのかも知れない。
■好きになる仕事
私には、世の中が好きでもない仕事をしている人で満ちているとは思えない。夢見がちな子供の頃には他人事で興味がなくても、自分事になれば大事に思う気持ちが育ってくる。力を尽くして積み上げれば、自分の力が組織や社会の役に立っている自負と自律の喜びが生まれる。多くの社会人はそうだと信じている。
とは言え、世の中は何らかの支障があって、上手くいかないことの方が多い。実際、本当にどうにもならないことが山ほどある。あれもこれも、もともと好きでもない仕事のせいにして投げ出すのは簡単だ。けれど、今少し・もうちょっとだけ頑張ってみることもできる。無理矢理にでも、今目の前にある仕事を好きになってみたらどうだろう。どんな仕事も、なぜ・どうして・どうしたら、と考えると少しずつ面白くなる。面白く思う気持ちは、好きな気持ちに似ている。好きになれば、嫌々させられるのではなく、自ら進んで挑む気持ちが湧き上がる。負けても勝っても、好きなことなら後味が悪くない。
2025年7月2日 (水) 銀子