銀子の一筆

旅の情け

人間はわがままなもので、暑いのも寒いのも嫌、長雨も旱も困る、何事も程よくあってほしいと誰もが思う。
でも、時々は文句を探し並べるのでなく、現状の中にある味わいや妙を探してみようと思う。 気持ちだけで、灼け付く暑さも凍える寒さも美しく見えるから不思議だ。

いつの時代にも「今どきの若者」はいた。
多くの場合は年長が若輩を諌める言葉だろうが、その年長も私も、かつて「今どきの若者」だった。
ほとんどの若者は現状に不満を言いつつも、旧来を打ち破り、新しい発想で次代の担い手になる。 今どきの大人が案じるよりも、今どきの若者の多くは新鮮で素敵な若者だ。

かつて月刊誌の仕事をしていて、毎月日本中のどこかへ取材に行っていた。
あるとき、徳島県小松島市に行った。小松島港は紀伊水道に面している漁港で、周辺は水産加工業が盛んだった。 中でも、薄いさつま揚げのフライ「フィッシュカツ」は小松島のローカルフードで、つまみ、おやつ、惣菜として市民に親しまれているらしかった。 歩いていると、どこからともなく揚げ物の香ばしい匂いが流れていた。
取材は無事に終わったが、帰りの電車の時刻を考えると店を探すほどの時間もなく、食べる機会がなかったのが残念だった。
電車を待つ間、駅の外のベンチで、カメラやら資料やら荷物の整理をしていると、並んだベンチに高校生らしき男の子たちが3~4人座った。 なかの一人が「東京ですか?......マスコミですか?」 と話しかけてきた。 カメラやザックを横に一人でノートを開いていれば、そんな風に見えたのかも知れない。

雑誌の企業取材だと簡単に説明した後、ふと彼が手に持っている食べかけの物に気付いた。
「それがフィッシュカツ?」と聞くと「はい。知ってんですか?」と言って、ふいに席を離れてどこかに行ってしまった。
戻ってきた時は、私のためのフィッシュカツを持っていて、「おごります」と言った。 うれしくて、私も彼らにお礼の缶コーヒーをおごった。
アツアツの揚げたてのフィッシュカツは、魚肉の甘みとカレー風味のスパイスが相まっておいしかった。 育ちざかりの高校生が下校途中に間食したくなるのも理解できた。

そんなやりとりの後「話聞いてもいいですか?」と言って、彼は話し始めた。
「マスコミに進みたい。みんなが知りたいことを、知らせる仕事がしたい」と言う。 私は「マスコミといっても、どっち方面の、何の仕事がしたいの? 紙なのか電波なのか、記者なのか写真なのか、政治なのかスポーツなのか」と聞いたがハッキリしない。 どうも報道関係の記者になりたいようだった。(報道だって様々だけどね)
「どんな準備をしたらいいか」と聞く。
偉そうに分ったようなことは言えないが、「もしも私だったら、同じテーマで数紙(誌)読み比べて切り口を見てみる。 社歴や活動の範囲とか、代表はどんな人で、どんな人が寄稿しているかも調べてみるかな。 専攻や体力、好き嫌いもあるしね。情報が多ければ選択肢が増えるし」などといろいろと話した。
彼自身もまだ整理しきれていない情熱をもっているようだった。 私にとっては取材のおまけのような時間だったが、熱心に神妙に聞いていた彼にとっては、ちょっとした進路相談、OG面談になったのかなぁ。
私の乗る電車が着く時間になって、私たちは互いに手を振って別れた。それだけの話だ。

電車のなかで一人になって、自然に自分の若い頃のことを思い返していたと思う。
私の場合は、世の中のことが何もわかっていない時期から、読み書きが好きだったことだけが今につながっているように思えた。 何か好きなことがあるなら、追ってみてもいいかも知れない。
途中で変わってもいいじゃない。
最近、テレビドラマの中で、「他人より少し得意なことがあって、他人よりも少し努力できることが、君の進む道だ」というようなことを、耳にした。
どんな形にしても、好きなことを仕事にできるなんて、幸せなことだ。

あの時の(といってもかなり昔のことで)高校生はとっくに忘れているだろうが、私はフィッシュカツの味とともに、時々思い出す。
素敵な眼をした、名前も知らない彼は当時の夢どおりに、マスコミ関係の仕事に就いているだろうか。 そして今でも、あの頃の気持ちを保っているだろうか。
私は既にずいぶん年をとったけれど、まだ元気に好きな仕事を続けているよ。

2020年 5月 27日 (水) 銀子

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