◇上林 憲雄氏(Norio Kambayashi)◇
英国ウォーリック大学経営大学院ドクタープログラム修了後、 2005年神戸大学大学院経営学研究科教授、経営学博士。専攻は人的資源管理、経営組織。
■グレシャムの法則
16世紀のイギリスで,国の財政を預かっていたトーマス・グレシャム(Thomas Gresham)は,イギリスの貨幣が外国に流出してしまう現象に頭を痛めていました。そこから発見された1つの法則が,いわゆる「グレシャムの法則」です。金の含有量が高い金貨と低い金貨があれば,人々は金の含有量が高い金貨を自分の手元に置いておこうとします。通貨としての価値は同一でも貴金属としての価値は異なり,日常生活では,貴金属としての価値の低い貨幣で支払おうと行動します。そこから,貴金属価値の低い貨幣(悪貨)ばかりが市場に流通してしまうことになり,貴金属価値の高い貨幣(良貨)を押しのけてしまうという現象が生まれます。これが「グレシャムの法則」,即ち「悪貨は良貨を駆逐する」現象です。(この法則自体は,グレシャム自身ではなく,19世紀になって別の経済学者が命名したものです。)
■組織でも当てはまる
この「グレシャムの法則」は,経営組織にも当てはめて使われることがあります。それが「計画のグレシャムの法則」と呼ばれるものです。組織における計画(プラニング)には,いい計画("良貨"に相当)と悪い計画("悪貨"に相当)があり,悪い計画がいい計画を押しのけてしまう現象を,この「計画のグレシャムの法則」は指しています。
■「いい計画」と「悪い計画」
ここで「いい計画」とは,組織の本質を見据えた,より根本的な,長期的な計画のことです。たとえば,長期的な戦略ビジョンに基づいた人材育成計画などが典型例です。創造的・革新的で非日常的(ノン・ルーチン)な計画です。
それに対し「悪い計画」とは,(「悪い」というと語弊がありますが)日常,組織が組織として運営していく上で必ずこなさないといけないルーチンな計画のことを指します。例えば,工場では日々の機械の点検作業とか,あるいは人事部では労働者への賃金の支払い業務など,日常的で決まりきった反復の仕事のことです。
この「計画のグレシャムの法則」のポイントは,組織において戦略的で革新的な計画が,多くの場合,日常業務に埋もれてしまって後回しにされてしまい,日常のルーチンな作業ばかりをこなして満足してしまう状態に陥ってしまうことを戒めることにあります。
■日本企業のOJT
私はかつて,同僚とともに,日本企業の教育訓練システムについて調査を行なったことがあります。そこでわかったことは,(当然のことですが)調査対象となった日本企業の8割が,教育訓練として,いわゆる「OJT」(On-the-job Training, 仕事を通じた教育訓練)を採用しており,研修などのOff-JT(Off-the-job Training,仕事を離れた教育訓練)はごく補助的な役割しか果たしていないということでした。
■長期的な人材育成を考える機会を
日本企業の教育訓練としてのOJTがダメだといいたいのでは勿論ありません。ただ,OJTというのは,聞こえはいいですが,実は「何も体系的な教育訓練の仕組みがない」ことの裏返しでもあるので要注意です。計画のグレシャムの法則になぞらえていえば,組織にとって本当の意味で大切な人材育成が,日々の仕事の多さに忙殺されて後回しにされてしまっていることの現れとして捉えることができるかも知れません。
■個人レベルでも「グレシャムの法則」が
グレシャムの法則は,何も国家や組織レベルのみの話ではありません。実は個々人のレベルでも当てはめて考えることが可能です。昨今はパソコンやスマホなどIT機器の飛躍的発達も相まって,一人で「孤独」になる時間がほとんどないようです。一人で居ても,常にどこか外部とつながっている状態です。
こうした状況下では,じっくり自分自身を見つめ直し,内省することはなかなかできません。本来しないといけないことを見つけるためにも,いったんは外部との関係を遮断し,孤独になってみる時間をもつことを,ぜひ皆さんにはお勧めしたいと思っています。
まずは,夜寝る前の30分間だけ,スマホの電源を切り,じっくり今日あったことを振り返ることから始めてみませんか。きっと自分自身を客観的に見つめる糸口が見つかるはずです。
☆次回もお楽しみに!