花舗の店頭に赤や白・ぼかしやフリルのシクラメンの鉢が華やかに並ぶ。12月に入ると街は慌しさ・賑やかさが増し、朝晩の冷え込みは頭をスッキリさせる。日々の雑事に追われて日伸ばしにしていた用件の整理、新たに始まるこれからの準備に落ち着いて集中しよう。
各地の里では例年になく熊の出没が多く、被害が出ている。冬眠を前に山のどんぐりが不作なせいだともいわれる。一方、東京では「山に送ってあげたいほど」どんぐりが豊作だと、リタイア後に公園清掃のアルバイトをしている知人が言っていた。熊も死活問題で必死なことを考えると、一方的な駆除に胸が痛まない訳ではないが、まずは人間社会へ侵入する野生の脅威から人間を守らなくてはならない。
昔、郊外に住む叔母を訪ねておしゃべりをしていると、いつもの散歩の時刻なのか、飼い犬が吠え始めた。すると叔母は私に「ちょっと待っててね。○○をぶってくるから」といって席を立った。(えっ?)「メッ!静かにしなさい」という声が庭から聞こえて、犬は鎮まった。ケロリと戻ってきた叔母がおかしかったが、事情を知らないまま叱られた犬の人権(犬権?)はどうなのだろうと思うと、少し気の毒に思った。(ごめんなさい)
■脅かされる尊厳
1948年12月10日に国連で「世界人権宣言」が採択されたことから、毎年12月4日から10日まで人権尊重の思想を広めるための「人権週間」になっている。人権とは「人が人として生きるために、生まれながらにしてもっている普遍的な権利」であり、人種・性別・年齢・国籍・宗教・信条に関わらず、尊厳と自由が保障されるべきという考え方だ。しかし、世界人権宣言や日本国憲法で保障されているとはいえ、人種差別(レイシズム)・性差別(セクシズム)・年齢差別(エイジズム)は未だ世界の三大差別として根深い。
法務省の「人権擁護に関する世論調査」によると、インターネット上の誹謗中傷などの人権侵害53.0%・障害者50.8%・こども43.1%・女性42.5%と、高い関心が寄せられている。ほか社会的に少数または弱い立場にある人に対しての人権擁護が問われている。
果たして生活レベルのハラスメントも止まない今、誰もが人間らしい尊厳と自由を得られている世の中だろうか。
■見えない処で
もちろん精神の完全な平等・差別のない社会などは、実現不可能な理想だと思われる。が、それにしても私たちの中にも意図しない無関心・悪意のない無神経による人権侵害の種があるのかも知れない、とよく省みる。アフリカに暮らしながら、動物園も図鑑もない多くの子供たちは、キリンやゾウを知らない。カカオ農園で働く子供たちは、チョコレートを食べたことがない。そんな事実もまた、私たちが無意識で侵している人権軽視かも知れない。
■不可逆的な欲望
人間にだけ、生きる権利がある訳ではない。最近、鳥にも言語に代わるコミュニケーションがあって、鳴き声や動作で仲間と意思疎通を交わしていることが分かってきたらしい。人間は手間暇を惜しんで(多くの犠牲には目をつぶり)合理的・効率的な整理を選び、自然の摂理にも手を出してきた。その行為が本当に正しいか正しくないかは分からないけれど、「私たちも存続と成長を続けて生き延びる必要があるんですよ」と快適な利便性・清潔な環境を不可逆的に求めてきた。(もちろん私も現代生活を享受しているのだが)
少しやり過ぎてはいないか。誰かを侵してはいないか。過信が過ぎないか。と胸を痛めても詮無いこと、今となってはどうにもできないと明るく割り切ってしまうより、せめて心のどこかで「これでいいのか」と思っていたい。という欺瞞と、いつまで続くのかという不安の中で現代人は生きているのかも知れない。
「戦争は最大の人権侵害」であると同時に、戦争は地球に対する生存妨害でもある、と思う。自身・自国の存続成長に専心して、貧しくても他者のものを欲しがらず、他者を意のままにしたい野望は捨てよう。忘れてはいけない。私たちに残された選択肢は多くないことを。
2025年12月3日 (水) 銀子





























