瑞々しかった葉桜も、いつの間にか緑濃く葉影を厚くしている。湿気を帯びた風が雨期の近いことを感じさせる。まるで永遠に変わらない季節の巡りであるかのような、穏やかな日々を今は存分に楽しんでおこう。例え、目に見えない所で地球の変化が進んでいるとしても。
どのような安定も不全も意図とは別に、退化も進化もせずに変わらないという事はない。
今年は昭和100年に当たる。戦後80年間、さまざまな困難や栄光を経ながら、日本は着実に復興から成長を続け発展してきた。この時代を支えた多くの人々が同じ歩みを共にした。しかし今、広く世界につながる現代の日本で、新たな変化が起きている。パンデミックを筆頭に、地球環境の変動・止まない国際紛争・経済不安・人口減少など内外の環境変化が進んでいる。低下しつつある日本の競争力とともに、国勢にも陰りが見えている。
打開のために「人生100年時代を見据えた経済社会システムを作り上げるための政策のグランドデザインを検討する人生100年時代構想会議(厚生労働省2017.9)」も設置された。
最も身近な問題、労働力不足に対しては女性活躍・高齢者就業推進など、働き方改革として様々な制度の充実が図られてきた。
■上手に脱皮しよう
時代も社会も組織も、常ならぬ生き物だ。生き続けようとすれば、代謝を繰り返し新たな細胞を生み続ける必要がある。ビジネスパーソンなら、頭では理解している合理的な理屈だ。
しかし、どんな正当な理由や納得できる制度であっても「あなたは、もう要らない」と評価されることは、命の管を外される思いがするだろう。慕われても惜しまれても、雇用の延長が許されても自ら温かな部屋を去っても、定年が一つの終わりであることには違いない。
このことを肝に銘じずに、昨日と同じ自分を主張しようとすると、第二の人生の出発を誤ることになるかも知れない。気力・体力の充実を自称していても、生体の劣化は確実に進んでいるはずだ。次の世界では、権力をもたない老いた新入生として、過去を威張らず今に捻くれずに学び直さなければ、明日に続く道は明るくない気がする。ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが言う通り「脱皮できない蛇は滅びる」のだ。新たな生活はもちろん、住み慣れた自組織であっても一度「終わり」を越えた人として初学の席に着こう。
■拘っているのは誰か
役職定年制度は同じ組織内で、一定の年齢に達した時に役職を返納して一般構成員として雇用されることをいう。収入も権限も減って、役職定年者は環境変化に戸惑う。がもっと戸惑うのは、昨日までは部下または後輩だった受け入れ側だろう。今日からは立場が逆転して、年長者を部下もしくは後輩として指導しなくてはならない。
「今までの経験を活かせる役割を準備できるか」「希望に沿った調整ができるか」「モチベーションが低下しないだろうか」「新たな職務に目標や意義がもてるだろうか」「新業務を習得するまで辛くないか」「職場に馴染めるか不安ではないか」など、プライドを傷つけない対応の難しさと気遣いに満ちた心配事が増える。
しかし、役職定年者だからといって格別の配慮をするのは少しおかしい。新入生にも中途採用者にも同じ気遣いが必要なのではないか。過去に役職があろうがなかろうが、年長者は目下に突然病人のように特別扱いされて、過剰に気遣われると内心傷付く(優遇を権利として期待するほど、狭量ではありません。助けが必要な時は助けて!といいます)。普通に後輩指導してほしい。不慣れや不備を根気よく注意・叱咤してほしい。それが新鮮な喜びや自身の成長になるから。悔いのない努力を続けてきたシニアの多くはそう思うのではないか。
双方が今の自分が成すべきことを穏やかに行うこと、誰に対しても同じように気遣いと礼儀が必要なこと、年齢・性別・経歴や功績に関わらず同じ目的・目標をもつ対等な仕事仲間だと信じることが大事だ。健全な思考のビジネスパーソンならそう思うのではないか。
2025年5月21日 (水) 銀子