人的資本は、人を企業が成長させる投資の対象として捉え、教育によってその価値を増大させることで、組織の利益や価値の向上につなげるという考え方です。
VUCAの時代の環境変化や成長産業を担う人材を確保するために、継続的な「人的資本経営」を各企業で進めることが急務となっています。
このページでは、人的資本及び人的資本経営とは何か、人的資本経営を推進する具体的な方法、情報開示の事例などについてご紹介します。
人的資本とは
岸田首相は2022年1月17日の国会の所信表明演説で「新しい資本主義」の実現のために、①「人への投資」、②「人的資本経営」、③「人的資本の開示」の推進を宣言しました。
人的資本(Human Capital)とは、人を利益や価値を生み出す資産として捉えることです。類似の言葉に、人的資源(Human Resource)がありますが、こちらは、投入する量に応じて価値を生み出すという考え方で、人材の「量」の確保とその「管理」が重要となります。
一方、人的資本は、人を企業が成長させる投資の対象として捉え、教育によってその価値を増大させることで、組織の利益や価値の向上につなげるという考え方です。人的資本では、人材の「質」の向上とその「活かし方」がカギとなります。
人的資本経営とは~「必要な人材」と育成・獲得戦略を、人事と経営がともに考える
人的資本経営とは、教育などの投資を通じて人の能力や価値を高め、経営目的の実現や企業の価値向上をめざす経営のあり方です。下記の図のように、人的資本を重視する経営へのシフトは、「労働集約型」から「知識創造型」に組織を変革するシフトでもあります。
人的資本への投資は従業員の教育や育成などの能力開発にとどまりません。従業員の働きやすい職場環境を整えたり、従業員に前向きに働いてもらえるような制度を作ったり、多様な考え方の従業員を受け入れ活かす取り組みを推進したりすることもまた、人的資本投資にあたります。
人的資本経営の推進戦略
人材版伊藤レポート(※)にあるように、人的資本経営は、下記の図のような形で、経営戦略を実現するための人材戦略を作成し、具体的な施策として5つの要素を制度や施策として実践することといえます。
(1)動的な人材ポートフォリオ~組織に必要な人材の要件定義
「動的な人材ポートフォリオ」とは、変化する環境に合わせて戦略を柔軟に変えていき、それに応じて必要な人材の組み合わせも常に変化させていくことを意味します。
人材ポートフォリオをあるべき姿に近づけていくためには、求める人材の要件がしっかりと定義できていなければなりません。例えば、デジタル活用を通じて定型的な業務はシステムに置き換え、より創造的な業務に人材をシフトさせていく人材戦略を考えるならば、以下のように、現状とあるべき姿で人員の構成のポートフォリオを作成して比較し、どのタイプの人材を増やしたり、減らしたりする必要があるかを客観的に把握します。
(2)知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
国籍・年齢・性別など多様な人材が組織に所属したり、出産・子育ての支援制度や介護支援制度など多様な人材が働きやすい制度が整備されたりするなど、日本でダイバーシティの環境は整いつつあります。
しかし、多様性を組織の強みとして多様な人材を活かしきれているか(インクルージョン)というと、まだまだ課題が山積しています(もっともこれは日本だけでなく、ダイバーシティ先進国の欧米でも永遠の課題となっています)。
ひと昔前は「みんなが同じこと」が効率化を生みだしましたが、VUCAの時代では何事にも対応できる多様性が重要となります。
一般的なダイバーシティは、性別・国籍・年齢などの違いで分類するもので、これを「デモグラフィックダイバーシティ」(demographic diversity、人口統計学的多様性)と呼びます。現在多くの企業で推進されているダイバーシティは、女性活躍推進やシニア、障がいのある方、LGBTなどの様々な属性の人材が活躍できる職場であることを目指す、この「デモグラフィックダイバーシティ」が重視されています。
ダイバーシティが生み出す成果・効用としては、①抜け漏れがなくなる、②多様なアイディアが出る、③(多様なアイディアが融合して)革新的なアイディアが生まれる、という3つがあげられます。
デモグラフィックダイバーシティは、様々な人々が就職の機会均等を確保するために重要なことではありますが、上記の3つのようなダイバーシティを組織の強み・利益としていくためには、デモグラフィックダイバーシティを実現するだけでは不十分で、ものの見方や考え方の多様性「コグニティブダイバーシティ」(cognitive diversity)を職場で実現することが必要となります。
そのコグニティブダイバーシティを実現するためには、職場内でメンバーが安心して自分の力を発揮できるための、公平性(エクイティ)の確保やインクルーシブ・リーダーシップの発揮が必要となります。
(3)リスキル・学び直し~必要な人材の育成の方法
「リスキル」とは、"職業能力の再開発、再教育"という意味で使われる言葉です。「リカレント教育」が個人の自己研鑽による能力の再開発で生涯教育という意味合いが強いのに対し、「リスキル」は企業・組織が主催して行う能力開発となります。
2022年10月に成長産業への労働移動を促すリスキリング支援に5年で1兆円の投資を行う計画も発表されました。特に、近年では、DX(デジタルトランスフォーメーション)の分野でのリスキルが企業の人材戦略としても注目されています。
インソースでは、人的資本経営を実現するために、デジタル事業やデジタルサービス開発など成長職種への異動者、部署内のイノベーション担当者などの方々を対象に、DX教育やリスキルのためのマインドづくり、職務転換者や復職者がすぐにスムーズに仕事ができるようなビジネススキルの向上・実務の学び直しが必要と考えています。
また、リスキルだけでなく、VUCAの時代で枠組み自体が大きく変化する環境の中では、現在担当している職務でも日常的に知識のアップデート(アンラーニング)も求められます。
(4)従業員エンゲージメント
「従業員エンゲージメント」とは、企業と従業員とが相互に理解し合い、共に必要な存在として認め合った中で、組織に貢献したいと思う気持ちのことを指します。似た言葉に「従業員ロイヤリティ」がありますが、こちらは会社と個人が主従の関係にある中での忠誠心となり、対等な関係にあることが前提であるエンゲージメントとは異なります。
これらは、雇用形態と深い関係があり、一般的にジョブ型雇用の場合、高いエンゲージメントが、メンバーシップ型雇用の場合、高いロイヤリティが求められるといわれています。
日本では、終身雇用と年功序列を軸として、人を「囲い込む」ことによって必要な人材を維持してきましたが、これからは、一定の人材の流動性を許容しつつ、その時々の経営戦略に適う人材を選び、また従業員側からも選ばれる存在であり続けることで、「選び、選ばれる」関係を築き上げ、必要な人材を確保していくことが求められます。
(5)時間や場所にとらわれない働き方~人的資本に求められる組織変革の推進
時間や場所にとらわれない働き方を許容することは、働いてもらえる人の選択肢を広げることになり、人手不足の解消につながります。また、柔軟な働き方を認めてくれる会社には優秀な人材も集まりやすくなります。こうした柔軟な働き方を可能にするためには、各種人事制度の改定が欠かせません。こうした取り組みもまた、広義の人的資本投資といえます。
なぜ人的資本経営が求められるのか
近年の経済成長は、世界的に、無形資産投資(研究開発、IT・ソフトウェア、人的資本等への投資)を通じて実現されてきました。日本は他国と比べて無形資産投資の割合が小さく、その無形資産投資の中に占める人的資本投資の割合はさらに低いですが、この点は日本政府も大きな課題として認識しています。
首相官邸の知的財産戦略本部では、こうした流れを受けて、「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドラインVer1.0」(2022年)(※)をまとめ、無形資産への投資を増やし、企業価値の向上させる取り組みについての検討を行っています。
参考:「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドライン」(2022年、首相官邸知的財産戦略本部、知財投資・活用戦略の有効な開示及びガバナンスに関する検討会)
最終アクセス2022年11月18日
VUCAの時代の環境変化や成長産業を担う人材を確保するために、こうした無形資産への投資を組織内で仕組み化し、継続的に進める「人的資本経営」を各企業で進める必要があります。
人的資本の情報開示
(1)人的資本開示とは
人的資本開示とは、人材を利益や価値を生み出す資産として捉え、その資産をダイバーシティや組織の保有スキル、ウェルビーイングなど様々な指標で数値化し、開示することです。
人的資本経営が目標・計画通りに進んでいるかを定量的に把握し、PDCAの改善活動へとつなげるKPIとなるのが、この人的資本の開示項目となります。
(2)開示の義務化
2018年12月に人的資本の情報開示の指標などが定められたISO30414が制定されました。既に、ヨーロッパでは2017年度から従業員500人以上の上場企業に対し、人的資本情報の開示が義務化されており、米国でも、2020年度に上場企業に対して義務化されています。日本でも、2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンスコードに、「人的資本や知的財産への投資等について、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである」ことが示され、2023年3月期の有価証券報告書から、企業に人的資本情報の開示が義務付けられることになりました。
(3)開示項目の要件
また政府より、2022年8月に「人的資本可視化指針」が報告されました。その中で、人的資本の開示項目について、①独自性と②比較可能性という2点に留意することが求められています。
①独自性については、「取組や、開示事項そのものに独自性がある」こと、「開示事項自体は他社と共通であったとしても、その開示事項を選択した理由に自社固有の戦略やビジネスモデル」が強く反映されていることに留意するよう求められています。
また、②比較可能性については、「投資家等が企業間比較の観点から重視する典型的な情報」であることが求められています。
また、グローバルにビジネスを展開している企業や、外国人投資家が株主の企業に対しては、国際的な開示項目例として国際標準化機構(ISO30414)、世界経済フォーラム(WEF)、サステナビリティ会計基準審査会(SASB)、グローバル・レポーティング・イニシアティブ(GRI)に設定されている項目内容を参考とするように求められています。
(4)インソースの人的資本開示項目
弊社、インソースでも、下記の視点で、人的資本開示項目(一部)を設定しました。
- 業績拡大に直結する1人当たり売上高および営業利益を最重視、推進と改善の両立を継続
- 業績向上意欲醸成と経営参画意識喚起のため、社員株主を拡大
- 多様な人材が、働きやすい組織づくりを継続して推進し、優秀な人材を安定的に確保
人事部に求められる2つの役割
■人的資本の現状や今後の経営戦略を踏まえ、人材戦略を推進
人的資本経営の推進にあたり、人事部に求められる仕事や立場も大きく変わります。これまでの人材戦略は、大量に人を採用し、そこから組織で時間を掛けて人を育てることが中心でしたが、今後は、人事部が経営層と一緒に「組織に必要な人材」を考え抜き、その人材を外部から確保するのか、新人・若手を採用して育成するのかなど、組織の人的資本の状態や、今後の経営戦略と合わせて、多様な人材戦略を打っていく必要があります。人事部の経営に関わる重要度はこれまで以上に高くなっています。
■人的資本を社内外に開示しながら企業価値を最大化
対外的に求められる人的資本の状態の定量的な開示については、従業員数や平均給与や1人当たり利益などだけでなく、リーダーの資質や従業員エンゲージメント、後継者の育成状況なども含まれていきます。このように、財務情報を社外に公表することと同様に、人的資本を社内外に開示しながら、経営に活かし、人事部が中心となって人的資本(=企業価値)を最大化させていくことが求められています。