《最終回》岩崎小彌太に浸る7日間vol.7「小彌太と財閥解体」

岩崎小彌太に関するこのコラムも、ついに最終回となりました。連載を重ねながら、岩崎小彌太という人物が非常に素晴らしい人格・能力を持っていることをしみじみ噛みしめていました。小彌太も、大河の主人公となっても遜色ない人物だと思っています。(特定の企業・グループにフォーカスすることになるのでNHK的には難しいと思いますが......)さて、最終回の今回ですが、時代はついに戦争へと突入し、その影響は小彌太・三菱にも大きく降りかかります。
- 目次
戦争に対する小彌太の姿勢
三菱は、1938年に三菱重工業・長崎造船所に戦艦武蔵の製造を始めたり、建設中の新丸ビルの工事を中止するなど(1951年に工事再開)、軍備拡充と生産増大の国策に沿ってすべての経営資源を投入しました。 (宮川隆泰『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』、196‐197p、中央公論社、1996年)
1941年12月8日、日本の真珠湾攻撃により太平洋戦争が開始した2日後、小彌太はこの開戦や三菱としての立場などについて以下のように述べています。
「おもうに今次の対米英開戦こそは、実に我が国肇国(ちょうこく、建国)以来の重大事件であって、同時に東亜の安定、世界の平和の成否の岐(わか)れる所である。我等は平素においては国民の一員として、あるいは政治外交の問題に種々の意見を立て主張を明らかにしたことがなくはないけれども、事すでに今日に至っては、国是の向う所、昭々としてあきらかである。 (中略) 二つ目には英米の旧友に対する心得である。在来我が三菱と事業において相提携せるものに幾多の英米人あり。彼等は今日まで我等の友人として同一の事業に提携し、同一の利害に終始してきた。今や不幸にして干戈を交える両国籍に分属した。国家が彼等の事業並びに資産に対して合法的の措置をとるべきは当然であるが、旧誼(きゅうぎ、昔のよしみ)はこれによって滅すべきではない。されば国法の許す限り、彼等の身辺と権益を擁護すべきことは、これ亦同義に立脚せる我等日本人の情義にしてかつ責務である。他日平和克復の日が来たならば、彼等は過去において忠実なる好伴侶であったように、将来においてまた忠実なる盟友でありえよう。かくて両者が相提携して再び世界の平和、人類の福祉に裨補(ひほ、助けおぎなう)する機会が到来して欲しい。 (『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』、207‐209p)
開戦2日目に、上記のような英米に対する配慮を、公に対して冷静に臆することなく信念を語れる所が小彌太のすごさだと思います。
また、前半部分で、「いろいろ戦争が始まるまで言ってきたが、いったん戦争が始まったら国民の一員として課せられた責務の遂行に全力を尽くす」という部分も小彌太らしい潔さです。同時期に生きた、経済学者の河合栄治郎も似たような態度をとっていました。
河合は身近な門下生に、「この戦争は負ける。しかし国民としての義務も果たさなければいけない。自分は戦争には反対だが、戦争が始まったら国法に従って戦争に協力する。しかし協力してもどうしても負ける。」と語っていました。決まるまでは自分の意見を是々非々でぶつけるが、いったん決まったらそれに従う。ファシズム批判をしていた河合でも、小彌太も、そうした自分の信念を国家意識に昇華させていました。
日本の敗戦と財閥解体指示
1945年8月15日に日本が太平洋戦争で敗戦した後、9月2日、東京湾上の米国戦艦ミズーリ上で、日本政府は連合国に対する無条件降伏文書に調印しました。4日後の9月6日、アメリカのトルーマン大統領はワシントンで降伏後の米国の初期対日方針を承認し、連合国軍の日本占領基本政策がまとめられました。その中の7番目の項目として、商工業の大部分を支配してきた「産業上・金融上のコンビネーションの解体計画」への指示がありました。
GHQは9月15日に経済科学局(ESS)を設置し、局長にクレーマー大佐が着任しました。彼の指揮下にアンチトラスト・カルテル課がおかれましたが、クレーマーは経済の専門家でもなく、職業軍人でもない、ニューヨークの商社の中間管理職で召集されてマッカーサーのスタッフの1人となっていた人物でした。そのクレーマーが四大財閥本社と財閥解体についての交渉を行いました。9月22日にアメリカの初期対日方針が公表され、25日にはクレーマー大佐は早くも三菱本社に来社し、三菱商事社長の田中完三と会見しました。田中はGHQの意図を熱海にいた小彌太に報告しました。
小彌太は終戦を別邸の熱海で迎えていました。小彌太は敗戦について、「この度の戦争の是非はしばらく措くとして、日本が負けたということは我々日本人として実に残念である。然し考え方によっては必ずしも不幸な事ばかりではない。我々は今後愉快に仕事ができると思うからである。昔から武力をもって他の民族を征服することは、それがたとえ一時的に成功しても到底永続しない。それは歴史の明らかに教える処である。 英国にPeace Penetration(平和的浸透)という言葉があるが、よくよく吟味すべきである。今までは軍部の掣肘を受けて自由に外国との通商もできなかったが、これからはそれができる。日本の再建も可能である。」と述べています。(『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』、246p)
結果的に小彌太は戦後、その理念・信念を展開することができなかったことが、非常に残念です。
小彌太・財閥解体に理をもって抵抗
クレーマーは同様に三井本社、住友本社、安田保善社を訪問し、自発的に本社を解散するよう要請しました。住友本社でクレーマーに対応した常務の大島堅造によれば、クレーマーが大島に発した第一問は「財閥とは何か」であったということです。日本の財閥解体という決断をする責任者が、その財閥に対する知識がないのには驚きです。10月9日に幣原喜重郎が、終戦処理内閣だった東久邇宮内閣の後を受けて首相になりました。幣原の妻の雅子は彌太郎の4女で小彌太の従姉妹でした。10月11日に幣原がマッカーサーを訪ねると、マッカーサーは幣原に日本の社会秩序を改革するための方針を書き記した文書を手渡しましたが、その第五項に財閥解体が明記されていました。安田保善社、住友本社、三井本社は早々に解体する意向を表明しましたが、熱海に引きこもって東京からの状況報告を受けていた小彌太は、三菱が自発的に解体しなければならない理由は何も無いといって、総司令部の要求を受け入れませんでした。
小彌太はその理由を次のように話しています。
「総司令部は財閥は過去を反省して自発的に解散せよというが、三菱は国家社会に対する不信行為は未だかつて為した覚えはなく、また軍部官僚と結んで戦争を挑発したこともない。国策の命ずるところに従い、国民として為すべき当然の義務に全力で尽くしたのであって、顧みて恥ずべき何ものもない。いわんや三菱は社会に公開せられ、一万三千名の株主を擁している。自分は会社に参加せられた株主各位の信頼に背き自発的に解散することは信義の上からも断じて為し得ない。」
これを聞いたクレーマーは、小彌太との会見を希望しました。小彌太は10月21日に熱海の別邸から東京に出発し、麻布鳥居坂の本邸の焼け跡の土蔵に落ち着きました。翌22日に丸の内の三菱本社に向かいましたが、この日は三井本社の解体が決定された日でした。小彌太はその日の午前に本社でGHQの強硬な態度である説明を聞くと、午後に幹部を集めて、あくまで自発的解散はしないが、日本政府の命令があった場合には三菱本社を開催するという方針を決定しました。この日に住友本社も自発的解散を決定しましたが、小彌太が三菱の解散を認めなかったので、大蔵大臣渋沢敬三(渋沢栄一の孫)から面会の申し入れがありました。電話をしてきた蔵相秘書官は、若き日の宮沢喜一でした。(第78代内閣総理大臣)
23日に渋沢蔵相が三菱本社の小彌太を訪ね、自主解散を促したが、小彌太は自説を主張して譲らなかったばかりか、逆に三菱系会社以外の外部の大衆株主にたいして特別配当を許してほしいと要求しました。戦時中三菱本社の株主を購入した外部株主は13,000人になっていました。四大財閥のうち安田・住友の株式は外部に公開されていませんでした。三井と三菱は本社株式の一部を公開していましたが、三菱の公開比率が最も高いものでした。小彌太はこのような状況を受けて、もしこれらの株主にたいして配当が行われないと、株券はただの紙切れとなってしまう。それでは三菱の事業に協力してくれた株主の信義を損なうことになる、というのが小彌太の考えでした。本家の当主3代目社長の久彌も同じ考えを持っていました。
しかし、10月29日に小彌太の病気が悪化し、東大病院坂口内科に入院しました。翌30日に大蔵大臣名で小彌太宛に、株主に対する配当は無配の措置を取るように公式な回答がありました。10月31日に小彌太は不在であったものの、三菱本社で株主総会が開催され、本社が近いうちに解散することや、小彌太社長、彦彌太副社長(久彌の長男)が退任し、新たに田中完三を社長に選任することが決議されました。小彌太も同日に社長告示を伝達し、翌1946年の10月1日に正式に三菱本社は解散しました。 (『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』、250~258p)
小彌太死す
1945年10月29日に小彌太は東大病院坂口内科に入院しました。小彌太の病名は腹部大動脈瘤並びに下大静脈血栓症で。12月2日に岩崎久彌が見舞いに来て、2人は病室で顔をあわせました。その夜に容体が急変し、大動脈が破裂して小彌太は亡くなりました。享年67歳。葬儀は12月6日に築地本願寺で行われました。小彌太が亡くなってから15年たった昭和36年の或る日、小彌太の妻の岩崎孝子は小彌太の親友だった松平恒雄の妻の松平信子と、亡き人々のつきぬ思い出を語り合いました。
そのとき孝子は若い頃の小彌太の気持ちに触れて、「小彌太は三菱の仕事が嫌で、無理にやらされていたんです。三菱の仕事が嫌だったのはあとあとまでずっとつづいていたようでした。」と意外な真実を語っています。以前に取り上げた(vol.1参照)、下記の新聞事業をやりたいという思いを社長になってからも持ち続けていたのでしょうか。
「55歳の定年になったら俺は会社をやめる。それから新聞事業をやる。 今の新聞は政党などに動かされて言論が不公平であるから、不偏不党の立派な新聞を作って社会に貢献するつもりである。」 (『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』、33p)
連載を終えて
以前に、小彌太について、 「後の三綱領となるような、経営方針や行動理念などのビジョンを社員に示すのが非常に上手な経営者」 「渋沢は驚異的な行動力と商売の成功の種を嗅ぎ取る直観力に優れ(天才的な商才)、小彌太は和魂洋才のバランスの良い経営感覚と組織経営・デザインに優れている経営者」 であると書きましたが、加えて、財閥解体に関してGHQ相手に、しかも他の財閥は諦めて自主解散している八方ふさがりの中でも、「国民として為すべき当然の義務に全力で尽くしたのであって、顧みて恥ずべき何ものもない」としっかり自分の三菱の信念を伝えられる、また自社が大変な状況の中でも財閥解体による株主の不利益を苦慮したり、太平洋戦争が始まっても英米の企業・盟友を思いやれる温かさと的確な判断ができる、「義」の人であったと改めて感じました。
本コラムでは、宮川隆泰『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』(中央公論社、1996年)を大変参考とさせていただきました。
このコラムでは取り上げられなかった小彌太の素晴らしいエピソードが他にも満載ですので(1911年に発表されたフレデリック・テーラーの工場現場の科学的な作業管理法や、時間管理、標準原価精度などをいち早く三菱電機の神戸製作所で実施していたなど)、合わせて是非お読みください。
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